山本 昌さん沖縄取材記。〜基地のある街〜

『昭和40年男』にとって、もっとも遠距離の取材となった。沖縄である。だから
1人ぼっちである(笑)。経費というヤツは厄介な問題で、たとえば今回の取材に
カメラマンを使うとなるとそのまま倍になってしまう。湯水のように使える予算を
持っているのはNHKくらいのもので、削れるところは削るのも今や努力軸の1つだ。
ただし、どこにどうかけるかは重要なのである。今回の山本昌さんの取材は僕が
担当するのであるから、だったら1人でやったれーっということになってしまうのは、
決して自信ありありな訳ではない。限りある資源…、つうかスズメの涙のような
予算を自分のページに割り振るよりは、打ち上げでみんなで呑んじまった方がよい(!?)。
つうわけで一人ぼっちである。まあ、それでも飛行機(格安チケット!!)運賃をかけての
取材になるのだから、大レポートをここで展開しようじゃないのと張り切っている。
久しぶりに連載でお送りしていきましょう。

取材はキャンプの様子を撮影することから始める。朝からに備えて前日に沖縄入り
した。空港を降りるとさすが沖縄、シャツと薄手のジャケットで暑いくらいで、荷物を
1つでも少なくしたいとダウンをコインロッカーに預けた。バスに揺られ今夜の宿の
ある街へと向かった。道々に経済の限界があらわれていて、その向かいが
ズドーンと基地である。この膨大な基地というマーケットを失ったら、もっと深刻に
経済は落ち込んでいくのは間違いないだろうな。そんなことを含めて、あらゆる意味で
沖縄本島は疲弊しているように感じた。本来であればだ、せっかくこの地に取材に
来たのだから『昭和40年男』らしい基地問題への取材をしたかった。たとえば、
さまざまな職業の昭和40年男たちの座談会で、基地について本音を語るというだけ
でも、1日の余裕があればできたかもしれない。大メディアが報じるイデオロギーに
包まれた上での、さも沖縄県民の総意だと飾られた報道でなく、個々がなにを考えて
いて、事実問題として基地がどんな存在なのかを昭和40年男というピンポイントで
掘り下げていきたい。いつかきっちりと仕込んで1週間くらいの取材を敢行したいなと
心に誓ったのだ。

バスは生活インフラであり、街ごとにさまざまな人を飲み込み吐き出していく。延々と
基地がある。その周囲には街が形成されているから、ずっと乗降が続くのである。
観光客らしきものは同乗していなかったよ。そうだよな、普通レンタカーだよな(笑)。
でもね、免許がないことが暮らしぶりを身近に感じさせてくれると思えば、まあ悪く
ないでしょう(負け惜しみ?)。バイクのマナーが悪く、ひどい割り込みだらけだよ。
バスのサスが相当にへたっていて、コイツはいとをかしってか(笑)。約1時間半かけて
航空隊入口という少々物騒な名称の停留所で降り、宿に電話を入れると丁寧に道を
教えてもらってのに迷子になる俺だ。15分ほどと言われた道を30分以上かけて宿に
着いた。明日のキャンプ取材受付の安宿を探して予約したら、海沿いのダイバーたちの
御用達の宿で、あきらかに異質な客の僕だったのさ。

長くなるぞー、続くよーん。

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2件のコメント

  1. 始めまして。
    福岡出身、沖縄移住15年になります。
    偶然昨日ランチの時に雑誌を見ました。夫婦揃って昭和40年生まれで表紙に惹きこまれました!
    そして検索・・ブログ・・なんと沖縄にいらっしゃるのですね(驚)
    バックナンバーも含め購入します。
    うー興味深い!!
    昨日は寒かった沖縄ですが、今日は暖かくてよかったです。
    桜も満開ですので是非ご覧くださいませ。

    • うひゃー、うれしいなあ。昨日ですか、見つけてくれたのは。夫婦ともに40年とはウチと一緒ですよ。次回の沖縄取材の際には、ぜひとも協力お願いします。それと呑みましょう!

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