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紀元節であーる。

2011 年 2 月 11 日 プロデューサー コメント

昨日大騒ぎした本日よりの旅は、残念ながら延期としました。つうのも、
大雪なんすよ、オ・オ・ユ・キ。箱根の山下りで始まる道中が、雪との
悪戦苦闘になることが必死で、これでは旅のご提案ページというよりも
僕と金さんが苦行に耐えるというおふざけページになりかねない
(って、そうじゃないのかと突っ込まれそうですが)。昭和40年男たちが
「よーし、いっちょやったるかー」と思ってしまう旅のページにするために、
我々は苦渋の選択をしたというわけさ。いやね、もしもこの悪天候の中を
応援に来ていただいたら悪いよな…と、速報でした。

 

さて、本日2月11日は神武天皇が即位した日とされ、我が国の紀元とされる日である。
おっと、この話に振る気ではないからご安心を(笑)。親父がちょっぴり自慢げに
言っていた口癖である。「お父さんの誕生日は紀元節なんだ」と。昭和7年2月11日
生まれで、生きていたら78歳の誕生日だ。うん、まだそんなものなんだね。
100歳を超える方がわんさかいるのだから、生きていてもまったく不思議はない
年齢だ。誕生日ですから、ちょっと天国の親父に駄文でもプレゼントするか…
と思ったのさ。

 

ここでよく書いているが、東京都荒川区というスーパー山手タウン(嘘)で、いわゆる
街の電器屋さんを営んでいた。当時はクレジット会社なんざまだなく、現金取り引き
ばかりだった。分割払いもこちらから集金に行ってかき集めてくる。ワイシャツの
ポケットから札を取り出し、裸のまま母親に渡して晩酌を始めるのがなんとも
格好良かった。修理のうまい人だったそうで、あそこに持っていって直らないテレビは
もう買い換えだと親父の同業仲間が幼い僕に言ってくれたときは、ホントに誇らしかった。

 

中2のときに進路という言葉が初めて学校で語られ「継ぐんだよね」と聞くと
「電気屋は大型店の時代になる。修理がいらなくなるからもう無理だ。秋葉原の時代だ」
と寂しそうに言ったのをハッキリと記憶している。寂しそうな言葉に申し訳ない
気持ちながらも、自由を得た気がした瞬間でもあった。子供は店を手伝うことが
当たり前だった時代だ。テレビや冷蔵庫を得意先に納めると必ず言われたのが
「いい跡取りがいて安心ねぇ」だった。とくに抵抗もなく、親父のように電気屋を
営んでいくのだろうなとぼんやりとだが小学生の頃から描いていたから、この日の
言葉が強く響いたのだ。

 

親父の言ったとおり街の家電屋はほとんどが廃れていって秋葉原の時代となり、
やがて現在に至る大型量販店の時代となった。もしも継いでいたらどこかで
廃業に追い込まれていただろう。いや、継ごうとして進路を歩んでいたとしても
いざその段になったときには止めた方がいいということになっていただろう。
まだ活気があったこの時期に、将来をキチンと読んでいたのは大したものだ。
後年は北村“電池”商会だと言っていたくらいだからね(笑)。でも前向きだった彼は、
将棋の駒の彫り師として後半の人生を彩ったのだった。その創意工夫ったら
スゴイもので、いつもなにかのアイデアをひねり出しながら、自分自身で駒づくりに
役立つ道具を次々に生みだしたり、方法を開発していった。“普通”はこうした道具を
使って、このようにやるという“普通”を疑う人だっのだ。

 

♪はっぴばあすでぃつうゆう♪ 天国へ贈る感謝状であーる。「偉大な親父のおかげで
僕はクリエイターの端くれにはなれました。でもまだまだだね。親父が45歳だったときの、
駒士として駆け出しだった頃の努力とクリエイティビティを見習って走ります。心配でしょうが、
少しでも安心してもらえるように努力を続けていきます。1年3組、北村明広」

 

親父が今の僕とタメ年だった45歳の頃、僕は13歳だったからまだ電気屋を継ぐつもりで
いたんだ。駒づくりは僕からは趣味としか見えていなかった頃だもの。たぶんお袋だって
電気屋業に変わってまさか駒で生きていくなんて、夢にも思っていなかった頃じゃないかな。
すげーな、親父。あらためて献杯です。

  1. 2011年 2月 11日 22:10 | #1

    初めてコメントさせていただきます。
    偶然ですが、僕は昭和40年の2月11日生まれです。
    雪が降り続くなか、母から僕が生まれた日も雪が降っていたとメールもらいました。
    そんな昭和40年男ですが、この“昭和40年男”という雑誌を発見した時は、自分の求めていたものすべてが凝縮されていて、狂喜乱舞しながらページをめくりました。
    自分が昭和40年代の思い出を書きたくてブログを始めたこと、そして書きたかったことすべてがこの“昭和40年男”に
    書かれていて嬉しい半面、非常に悔しい思いをしたのも正直な気持ちです(笑)
    今思えば、当時の資料を残しておけばよかったのになんて思ったことが、この雑誌で具現化されているのですから、感謝に堪えません。
    今後も懐かしい思い出や忘れていた様々な思い出が、貴誌の記事で復刻するのを楽しみにしております。
    今の世に、“昭和40年男”が刊行されている奇跡に乾杯します。

  2. 1日遅れになってしまいましたが、♫はっぴばあすでぃ、つぅゆぅ~♪ 46歳おめでとうございます。「奇跡に乾杯」ってうれしい言葉です(泣)。こうしてmagさんにお祝いの言葉を贈れることも奇跡なんだと思っています。この本は、人と人のささやかながらあたたかい気持ちを繋げていくことも大切なテーマですから。僕たちはいろんなものを共有してきた世代ですもの。個人主義でない、最後の古くさい奴らですよね。

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