阪神タイガース優勝のおもひで。

好評連載企画の“夢、あふれていた俺たちの時代” では次号で昭和60年を
特集することに決定した。パチパチパチ。昭和60年といえば20歳ですよ。
バブルの入り口でありまさに活気に満ちあふれていた年だね。
昭和40年男たちにとってはたくさんの魅力的な誘惑に毎日さらされながら、
我慢と暴走の日々を繰り返していたのではないか。遊びの範囲も増えて、
資金づくりのバイトに奔走しながら物欲と性欲を満たしていたあの頃だね。
まじめな僕はそんなことなく、大阪に移り住んで四畳半一間のアパートで
暮らしていたよ。

向こうに移り住んで3日目のことだった。ろくな計画もせずに旅立ち、初日は
オールナイトの映画館、2日目はほうぼうに連絡を取るために贅沢にも
オンボロ宿に部屋を取った。2日間で集めたバンドメンバーを募集しているところに
片っ端から電話をかけた。いくつか会ってみることになり、そのひとつが翌日に
ミーティングを開こうということになった。好感触で終わり、そこに集った3人に
「今夜誰か泊めてくれないか」と切り出すと、そこで“コウジ”と名乗った男が
「ウチの物置代わりの部屋ならいい」と使わせてくれた。阪急神戸線の神崎川駅から
徒歩10分ほどの、トイレ共同風呂なしの典型的なボロアパートではあったが、
雨風しのげりゃそれでいい。そしてなんと、しばらくいてもいいということになった。
ずっと後で知ったことなのだが、実はコウジは実家から引っ越してくるために
その部屋を借りたばかりだったということ。よくよく考えれば、なんで物置に
新品のコンポがあるのだ。バカな僕はコウジの粋な嘘に甘え、タダで4ヶ月ほど
住まわせてもらった。ちなみに東京に帰ってから忙しいままに連絡が取れなくなり、
以降会えていない。あれから25年の月日が流れたが、心当たりのコウジが
もしこれを見ていたら連絡ください。ぜひまた、十三で呑みましょう。

コンポに付いていたラジオでタイガースの放送を聞くのが、金欠の僕には楽しみ
だった。そう、昭和60年はタイガース優勝の年である。伝説のバース、掛布、岡田の
三連発はステレオにかじり付くようにして聞いていた。バースのホームランこそ
聞き取れたが、掛布になると歓声に消されてなにが起こっているかわからず、さらに
岡田までいくともうしばらくなにが起こっているのかわからない、なんとももどかしい
生中継であったが、3連発とわかったときは震えが来るほどの興奮だった。
全部バックスクリーンてのも奇跡的で、あの瞬間に優勝が決まったといっても
いいのじゃないかな。タイガースの勢いの象徴のようなシーンだったもの。

みなさんが物欲と性欲を満たすために散財していたころ、僕はこうして四畳半暮らし
だったのさ。

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2件のコメント

  1. 四畳半はいいと思います。でも、せまいよ♪

    沢田研二の名まえで、ついたどりつきました。
    他のカテゴリーを見てないので雰囲気ですが、
    硬派なのですかーーーーーーーーーー!

    よかった♪

    • せまかったですよ~。でも今となってはいい経験でした。沢田研二さんで入って来てくれたぬこサンはおいくつ? ぜひ本誌ともおつきあいを(笑)。

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