プチ悟りを得た昭和40年男。

本願寺先日の大型出張の際、大阪に宿を取ろうと思ったらほとんど空きがない状態だった。春休みを利用したハリー・ポッター目当ての家族連れが占拠しているのだろうか。仕方ないなと京都に逃げようと探してみると、手頃なホテルが見つかった。電車移動は面倒だが、こうなったら京都を満喫しようとポジティブに考えることにして、仕事を終えた夜は料理屋を探しながら散策を楽しんだ。出張が多く、1人で飲食することが頻繁にあるせいか、僕は店選びが上手な方だと思う。店のつらで善し悪しを判断して、外れることは少ない。この夜も大成功で、おかみさんとご主人との会話も弾んだ素晴らしい夜になった。本来ならばこのブログのネタに写真をあげたいところだが、こじんまりとした京都の和食屋でそれは無粋だとシャッターを切ることはできなかった。

この夜珍しく深酒をしなかったのは、せっかく京都にいるのだからと翌朝のわずかな時間も散策を楽しむことにしたからだ。早々にベッドに沈み早朝から出かけた。短時間の都合上、ターゲットを東西の本願寺にした。まずは東からで、御影堂でしっかりと手を合わせ、その床に座りこんで親鸞さんと心を繋げていった。不勉強な自分を少々後悔しながらも、やがて静かな気持ちを味わえていく。ゆったりとした時間に、普段はまず感じることのない安らぎを得た。

続いて西本願寺へと足を進めた。こちらでも御影堂で手を合わせた後、同じく床に座り込んだ。東での行動とまったく同じで、親鸞さんと心を繋げていく。こちらでは目を閉じてみた。さっきよりももっと静かな気持ちに出会い、空っぽを試みるが修行が足らずあまりうまくいかない。ならばと自分への問いを持ち出してみた。「正しさとはなんぞや」と。親鸞さんが導いてくれるような気がして深く深く考えた。ずいぶんと時間をかけて、答えが1つ降りてきたのをプチ悟りと呼んで大切にしている今日だ。

早起きは三文の徳とはよく言ったもので、人生の楽しみがひとつ増えた気がする。これほど心静かに過ごせた時間が、過去の自分に思いあたらないほどだ。こんな体験をするとは、やはり人生が後半になってきたってことかな!?

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