50歳を迎える。死について思考が彷徨う。

葬儀一昨日のこと。2月8日に亡くなったGKグループ会長の榮久庵憲司さんの葬儀に出かけてきた。携わった企業の方々や、世界中のデザイン関連の著名人など、そして私のようにGKさんとの仕事を通じて世話になった者などなど多数が駆けつけた。増上寺での葬儀は初めての経験で、それは圧倒されるほどの荘厳なものだった。

弔電が読まれる。印象的だったのは生前にデザインとはなんぞやと質問したときに、美しさだと答えたという話。シンプルな言葉ながら、榮久庵さんから発せられたことにより深い意味を持ち、重くこちらの胸に入ってくる。言葉とはそういうものだ。

ご親族の方から参列者への挨拶で、最後の言葉は「85歳」と報告してくれた。きっとその後に繋がる言葉があったのだろうが、聞けなかったそうだ。旅立つ時になにを考えていたのか。自分だったらどうなんだろうかと、しばし思考の旅に出た。榮久庵さんは、悔い無しと言葉を続けたのではないかと思う反面、死に向かっていくのに悔い無しの感情があるのだろうかと考え込んでしまった。

そしてつい先日のこと、仕事でお付き合いのあったタメ年男の葬儀があった。これまたあれこれ考えさせられた。ともかく僕は、もうそんな歳なんだ。彼の真っすぐな心とふれあいながら仕事をご一緒できたことは、僕の中でずっと生き続ける。でも、小さな子供がいる彼にとって死はきっと無念だったに違いない。

死とはなんぞやと、その意味にふれることが増えたと同時に、解釈の熟成が進んでいることは50年近い人生を積み重ねたがゆえだろう。まだまだ答えなんか出せずに、心が彷徨っている昨今である。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

4件のコメント

  1. 榮久庵さんのV-Maxに惚れ込んでいました。
    広島というご縁も感じます。
    またアラフィフの諸先輩が逝ってしまうことが、本当に多くなったと感じます。
    平均寿命が伸びる中、俺の身近な人は結構早い。
    生き急ぎ過ぎだよ。
    愛する人たちのためにも、もっとスローに踏み締めて生きようぞ!

    • 平成乃昭和さんは同郷ですよね。地元の誇りだったはずです。合掌。

  2. 父方祖父30歳(癌)、母方祖父54歳(脳卒中)、父56歳(癌)、母方伯父53歳(心筋梗塞)と、近しい血縁の男たちは還暦を迎えずに去った人ばかりで、オレもそうに違いないと思い刹那的に生きてきました(笑)
    最近母方叔父が、やはり還暦目前で大動脈解離で倒れ、やっぱりな〜と思ってたけど、進歩はした医学のお陰でなんと生き残り記録更新、めでたくオーバー60に(゜o゜
    50歳目前の今頃になって、少しは真面目に生きないといけないのかなと考えるオレでした(^_^;)

    • ca-niさんは血縁関係の者たちに負けずに、いつまでもがんばってください。
      50歳になるって、いろんなことを考えますよね。お互い、できるだけいい方に明るく構えたいものですな。

コメントは受け付けていません。