親の死。(1)

2010 年 11 月 23 日 プロデューサー コメント

うわーっ、重いなあ。
なぜ親の死なのか。それは昨晩の『浅草秘密基地』で話題になったからだ。
結果的には1度特集を組もうというところまで話は展開したのは有意義だったな。
うん、これぞ『浅草秘密基地』ならではだ。
昨日は残念なことに雨天で、祭日前の絶好の浅草日和(!?)なのに、
来場者は3人と寂しいものになってしまった。
いつもの編集部員4名は元気に集い、計7人になったから格好はついたけどね。
なぜこのテーマに流れていったのかはよく思い出せないが、
とにかく6名(この時点では編集部足立がまだ不在)の中に、実の親を亡くしたものが3名いた。
僕と編集部金子が父親で、参加者である杢師さんが母親である。
3対3の温度差ったらなかったね。
親との別れを経験していないものにはどう言ってもわからないものなのだろう、あの独特の喪失感というヤツは。
呑みながらであるから得られたコンセンサスの数々が並び、前述の通り特集決定。
展開する号が決まったらみなさんの協力をお願いしますから、ふるってご参加ください。

 

僕の話をしよう。これちょっと長くなりそうだなあ。
平成7年3月30日のことだから、もうずいぶんと経つ。
親父は自営業でろくに医者にもかからないうちに肝臓を痛めていて、静脈瘤の破裂が起こった。
会社で仕事をしているとお袋から電話が入り血を吐いて倒れ、日医大に担ぎ込まれたとのことだった。
不思議なことにこの日の朝、僕はものすごくイヤな胸騒ぎがしていた。
朝飯を食いながら女房に言ったほどだ。「なんかさあ、イヤな感じがするんだよね」
経験したことのない感覚であったことなど、あの朝を今もハッキリと覚えている。

 

当時はすでに今の会社を切り盛りしていた。
今の5分の1程度のビジネスサイズだった。
とはいえ忙しいのはいうまでもなく、薬品会社のパッケージデザインの仕事を受注して
そのフィニッシュにかかるという大切な時期で、泊まり込みを覚悟していた日だ。
しかも翌日は月末であるから支払い等々面倒が多い日である。
という諸々で、連絡を受けてもすぐに会社を出られない、自営業の悲しみをめいっぱい感じたのだった。
デザイン仕事を一通りケリをつけて、支払いの手配をスタッフに頼み込み、
会社を出られたのは連絡後小一時間を経ていた。

 

病院に着くとすでに叔父叔母が数名駆けつけてくれていて、
弟には連絡がつかないとのことであった。
お袋が俺に抱きついてきた。
ああ、お袋小さいなと感じた。
オペが終わった直後で、医師からの説明を待っているという段階で親父にも会えていないという。
昼寝をしていた2階で吐き、なんとかお袋のいる下の部屋に血を垂らしながら降りてきたとのことで、
すぐに向かいにある医者に駆け込んだが町医者レベルの話でなく、
救急車を呼んで日医大への紹介状を書いてくれ、
救急医療センターへ来た…という事の経緯をお袋から聞いた。
救急車内で「心臓停止」という言葉が聞こえたと泣いていた。

 

重いけど続くよーん。

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