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出版社として歩んだ10年。〜やるしかない〜

2010 年 9 月 23 日 プロデューサー コメント

うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、
間にいろいろはさみつつ、これまでのことを振り返りながらつづっている。

 

2006年の夏が近づいていた。
禁断の果実を丸飲みした俺は、もうやるしかないのだった。
社内ではバイク雑誌づくりとの兼務スタッフを組織し、社外にもスタッフを求めた。
この時からのつき合いになる社外スタッフの中には、
現在に至って『昭和40年男』を手伝ってもらっている方もいる。
とにかく未知の世界に切り込んでいる自分は気持ちいいが、
ふと我に返るとたまりにたまった仕事に気が滅入ってしまう。
できるだけ考えないように、ただ前をみて突き進んだ。

 

昨日書いたことだが、音楽とは近すぎるから無理だと思っていたのだが、
実際に作業に入ると思っていた以上にすんなりといった。
というか、すんなり“行かせた”と言った方が近いかもしれない。
できるだけ色眼鏡をかけないで、目の前にある現象を飲み込んでいくように努力したのだ。
「俺の若い頃には」という比較も徹底的に封印した。
当初『音で喰え!』とのタイトルだったが、あまりにも直接的すぎて取材拒否が出たため
『音に生きる』と変更された音楽雑誌は、数々の失敗と失態を繰り返し
2006年10月30日に書店に並んだのだった。

 

編集後記を読みかえしてみると、
「右も左も上も下もわからず、ただやみくもに切り込んだ音楽業界」
と記してあり、苦労が鮮明に思い起こされる。
業界になんのコネクションもなく、すべてがイチから始まった編集作業だったのだ。

 

撮影現場ではスピーディーに撮影してしまうカメラマンの姿に感心させられ、
ライヴにご招待いただいては感動し、レコード会社勤務の方々にカッチョイイ業界人を感じさせられるという、
カルチャーショック(!?)を繰り返しながら作業を進めたのだった。
“きっと大丈夫”と自分にささやき続け、なんとかやり遂げたときは本当に心地よかったなあ。
版元として初めて、バイク以外の雑誌を世に送り出した瞬間だ。
『昭和40年男』創刊の3年前のことだ。

 

続くよーん

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