息子よ。

今日は私事ながら息子の27歳の誕生日だ。新生児室にいる、まだ名もない彼とガラス越しに対面したあの日のことを今もハッキリと覚えていて、真っ赤な顔で泣いていたっけ。産まれてからすでに4時間ほどが経過してからの面会だってのは、誕生日に僕が行方不明だったからで、女房には申し訳ないことをしたと今も振り返る。だが、前日がライブだったのだから仕方ない。ライブといえば打ち上げ。打ち上げといえば完全泥酔。結果、どこで眠りに落ちるかなんてわからない。今だったら携帯で追いかけることができるけど、当時は固定電話と公衆電話全盛時代だ。しかも、出産予定日までまだ2週間以上あったし、その出産前日のライブに女房は観に来ていたのだから、まさかまだ産まれるなんて思いもしなかった。

やっと電話でつかまった僕は、義母から「もう産まれたわよ」と、呆れ気味に言われた。男の子を切望していた僕がまず確認したのは、性別でなく五体満足かで、これがきっと親になる気持ちってことなんだろうなんて、後で自分をあざ笑ったのだった。バイト先に連絡して、産まれたから病院に行きたいと頼むと、店長は快く休ませてくれ、病院へと急行した。そして面会した我が子のかわいさといったら、親になった方ならきっとみなさん深く頷いていることだろう。そしてコイツを不自由なく育て上げると心に誓った日から今日で27年ということだ。ふーっ、早いなあ。大きな病気やけがなく、立派とは言えないまでも大人に成長したのだからよしとしよう。

トゥルー・カラーズ
息子が産まれる前年に発売されて、この歳に大ヒットを記録したシンディ・ローパーのアルバム『トゥルー・カラーズ』は、当時の喜びとリンクする

昭和62年のことで、振り返ってみればバブルの絶頂期である。ボディコン、ワンレンが大流行してオンナの子はみんなキラキラしてた。友人たちの多くはキャンパスライフを謳歌していて、今回特集したまるでシティポップのような世界を突っ走っていた者が多い。車に乗って、ブランドものでファッションをきめて、オシャレな街の雰囲気のいい店でオンナの子と遊んでいた。ライブハウスでロックに魂を打ち込むなんて、あの当時はどちらかといえばカッコ悪い生き方だった。自分ではロックを信じているものの、周囲のニーズとは大きなズレが生じているような気分を感じさせら続けていた頃だ。新宿のトイレ臭いライブハウスは、友人たちが過ごす場所とは雲泥の差があり、汗にまみれて働くバイト先の居酒屋も、オシャレな時代と大きくかけ離れていた。実際のところ、居酒屋でバイトを始めた17歳の頃はカッチョいい大学生も多く働いていた。ところがこの頃は、バイトしているヤツらがどちらかというと僕と一緒で、トレンディな東京ライフが苦手なヤツが多くなっていた。時代ってヤツはドンドン流れていくことを感じながら、家族と先の見えないバンド活動の間で気持ちは不安に揺れていた。でも息子に不自由なくと、いつもそう目指すことでなんとか乗り越えてきて、やっとこさ今に至っている。

今宵はそんな人生に浸りながら、もう誕生日なんか騒ぎもしない息子のかわいかった頃を思い出し、じっくりと一杯呑りたいものだ。

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1件のコメント

  1. そんなくっさいくっさいクズの昭和40年生まれのおっさんとしゃべるは御免こうむりたいわww
    あと絶対、子供のほうがマシなはずww

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