加齢による衰えに立ち向かう!!

勝田全国マラソン僕のフルマラソン歴は長く、20代後半より走り始めて、これまで20回以上参加してすべて完走してきた。タイムも一回をのぞいてすべて4時間台でまとめている安定ランナーだ。ベストタイムは4時間1分で、目標は4時間を切ることに設定しているが、ここ近年は遠ざかる一方である。

『昭和40年男』より、読者さんへ同じチームで走ろうと募り始めたのが2011年で、今回が4回目となる。この4年の僕の成績は、4時間25分、ねんざにより不参加、4時間22分、そして一昨日の4時間25分と、まるで進歩がない成績を続けているのはなんとも情けない。

スタート時は気温が高く、素人ランナーにはありがたい気候だった。いつもどおりに、体の具合をチェックするようにスロースタートで5㎞を通過すると、自分で思っていたよりずっと遅くて34分近くかかった。僕は毎回この入りが最もタイムが悪いが、ちょっとかかり過ぎだと少しだけギアを変えて、次の5㎞は約31分でいけた。連日の宴会続きのわりには体調がよく、この時点で4時間一ケタ分台を目標に設定した。頭の10㎞で65分近くもかかっているのに算数のできないヤツかと思われるだろうが、僕は後半に強く「マラソンの折り返し地点は35㎞」との名ゼリフを肝に命じながら走る。

少しずつペースアップしていき、この後は29~30分で各5㎞を繋いでいった。参加者が多いせいか、途中で給水所が空っぽになっていて、その次の給水所も枯渇気味ながらもらえたのものの、隣に寄ってきたオバチャンランナーが苦しそうに欲しいと嘆願してきたので渡した。タイムが悪かった要因では決してないが、暑い時間帯に2度も給水ができなかったのはちょいと痛かった。沿道の方々が水やバナナ、チョコレートなどなどいろんなものを用意してくれているのだが、僕はフル参戦にくだらないこだわりを持っていて、公式テーブルしか手を付けないようにしている。気分だけは陸連加盟選手なのだ(笑)。今回はこの掟を破らなければならないかもしれないと、心配しながらたどり着いた次の給水所にはキチンと用意されていた。

さあ、折り返し地点まで最後の5㎞(30~35㎞)だと踏ん張るが、ここより少し前から朝の晴天が嘘のように黒い雲が暖かい陽をさえぎり、冷たい風が強くなって体を冷やす。また、このセッションでは長い昇りがあり苦しいところなのだが、毎回ここから早いタイムで刻めるのは長いキャリアでわかっている。行くぜっとギアを入れるも、なんだかいつもより苦しいなと時計を見たらまさかの32分だった。自分では28分くらいまで押していて、最後の7.195㎞で120%を出し切れば4時間一ケタ分台は難しくなっていたが、少なくとも去年よりはかなり短縮できると踏ん張ったつもりだった。コイツはヤバいとさらに押そうとするもののここに来て足が出ず、すっかりペースダウンしてしまった。もう1つの名ゼリフがある。「フルマラソンに奇跡はない」と。練習量がそのままタイムに出るのは、後半の伸びを生めるか否かなのだ。

スタートから4時間を超えると交通規制が解かれるのがこの大会のルールで、38㎞地点でクルマが動き始めてランナーは歩道を走る。当然ながら信号に従わなければならず、道には細かな凹凸があり、つらく我慢の走りになった。ラストの5㎞ラップは34分もかかってしまい、目標どころか去年越えもあやしくなった。周囲のランナーは歩いている方が多く、ラクだよと誘われているような気分になる。だが完走だけは譲りたくない。これは強く心がけていることで、初めてのトライで歩いてしまって以来、すべての大会を歩かずにまさしく完走にこだわっているのだ。向かい風の長い直線をなんとか走りきって、左に折れるといよいよあと1㎞ちょっとだ。ここまで来てやっとゴールが意識される。

「ああ、今年も終わってしまう」と、まるで自分の1年間が凝縮されているような気分になる。去年よりタイムを上げられなかったふがいない自分と、去年より練習不足にも関わらず走りきれた誇らしい自分が同居しているが、最後の距離を縮めていくごとに誇らしさだけが大きくなって心を包み込んでくれる。つい5時間前に、チーム『昭和40男』で記念撮影をしたアーチをくぐるともうゴールは目の前だ。最後の短い直線を、深く味わうように一歩一歩踏みしめる。何度走ってもデッカい感動は変わらず、むしろ加齢により大きくなっているような気がする。そしてまた来年のこのゴールへとスタートを切る瞬間だ。ゴールっ!!

チーム『昭和40年男』万歳!!

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1件のコメント

  1. 面白くもない文書をだらだら書くとかさすがは、レベルの低い昭和40年生まれだなww

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