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出版社として歩んだ10年。〜買収成立じゃ〜

2010 年 8 月 22 日 プロデューサー コメント

うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、
間にいろいろはさみつつ、これまでのことを振り返りながらつづっている。

 

さて、版元になるための方法であるが、
手がまったくないわけではないことは以前から知っていた。
コードを買うのである。
これは問屋もすんなりと認める。
たとえば『ジパングツーリング』を買って、そのままうちが出版社になるというのはスムースなカタチだが、
成功している雑誌をみすみす手放すお人好しな版元など、当たり前だがいない。
版元もリスクを負って創刊にこぎつけているのである。
創刊誌がそのまま成功する確率は非常に低い。
莫大な広告をうち、鳴り物入りで創刊された雑誌が、
次から次へと消えていくのを皆さんも見ているでしょう。
そんな中、儲かるシステムが完全に構築された外注丸投げ雑誌は、
版元にとっては非情においしいものであり、それを手放す経営者が存在するはずがない。
資金繰りが苦しくなっている版元から、ゴミみたいに弱まったタイトルを
高値で買うというのがやっとこさ可能性がある程度のことだ。

 

もうひとつの手は、休刊中の雑誌を買い取るという手段がある。
いったん発行を休止したとしてもコードは残るのである。
だから多くの雑誌は休刊であって廃刊でないのだ。
取得するのに大変な苦労をするものであるが、一度得た権利には意外と寛容だといえる。
だがこのパターンでコードを取得したとすると、大きな苦労を要するのは当然のことだ。
なんてったって事実上廃刊している雑誌のタイトルを買い、
復活させて成功へと導かなければならないということなのだから。

 

この当時、知り合いの経営するエルビーマガジン社というところが
月刊の雑誌コードで『レディスバイク(Ladys Bikeこれを略してエルビーだから社名がこうなっている)』を持ち、
休刊中という状態が続いていた。
広告部としてしばらく手伝っていた雑誌であり、社長ともすこぶる仲がよかった。
俺が版元への一歩を進めるには、このコードを利用するのがもっとも近道であり、
前述の通りのいばらの道でもあった。
「ねえ、会社ごと売ってくださいよ、安く」
何度も交渉を続けたのだった。
彼も苦労して取得したコードであり、長年の愛着もあったためなかなか踏ん切りが付かなかったようで、
99年春から交渉を続けOKとなったのは秋を迎える頃だった。
周囲からは無謀だとか、その値付けは高すぎるといった声も上がったが、とにかく俺は版元になりたかったのだ。
決定した価格を20回の分割払いにしてもらってなんとか成立したのだった。
広告から始まり、企画、編集へと切り込んでいき、とうとう出版までたどり着いたのだ。
翌年、つまり2000年の春をターゲットに企画会議が始まった。

 

続くよーん

  1. 2010年 8月 23日 14:04 | #1

    こんにちは。
    以前一度資料を送ったものです。
    まだまだ、1965年はがんばっていますよーーーがんばってください。

    私は、今、自分の愛車をハリウッド映画に出演させたくて、色々と動いています。

    近日中には、アメリカの有名な車雑誌にも載るのですが、応援してください。

    ブログ、見てください。

    http://bolgs.yahoo.co.jp/ichiraku911

  2. 以前メッセージいただいたときもそうですが、応援ありがとうございます。ハリウッド映画をぜひ実現させてください。タメ年同士、応援してます。

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    プロデューサー