具志堅用高さんに取材。

Twitterでも書いたのだが、昨日は次号掲載のインタビュー取材で
具志堅用高さんに話を聞きに行ってきた。

ボクシングがテレビのゴールデンタイムの常連だった時代、
「100年に一人の天才」と言われ、WBAライトフライ級を13度も防衛した元世界チャンピオンである。
昭和40年男たちは手に汗握りながら、試合を見ていたのではないだろうか。
今でもタレントとしてテレビに出演しており、コミカルなキャラクターとして人気者なのはご存知のとおり。
だが、取材ではそんなタレントとしての具志堅さんではない、
ボクサーあるいはボクシング指導者としての具志堅さんの姿を垣間見ることができた。
聞き手はおなじみ編集として参加してくれている金子氏、そして撮影は隻腕のカメラマン・林健次氏である。

現場は、やや硬い雰囲気で取材が始まった。
あいさつののちに今日の取材内容の説明をするも、聞いているのかいないのか、じっとだまっている具志堅さん。
何かに集中しているかのような、考え事をしているかのような。
機嫌がわるいのか、いつもこういった感じなのかはわからなかったが
今日の取材ははたして大丈夫かと若干の不安を抱く。

だが、金子氏が話を聞き始めると、すんなりとスタートし
口調はやや堅いが、しっかりと話をしてくれた。
沖縄時代、修行時代、チャンピオン時代。
興味深いエピソードとともに、当時を語る具志堅さん。

ところが、面白い話は聞けるのだが、なかなか当時の想いを引き出すことができなかった。
きっといろんな想いや苦労があって、それを乗り越えて今があるはずなのだが、
具志堅さんの性格なのだろう、とくに苦労も悩みもなかったかのようにさらりと語る。
金子氏とともに試行錯誤、あらゆる角度から話を聞いていくうちに
最後の最後、まもなくタイムアップ!というころになって、ようやくぽつり、ぽつりと話してくれた。
悔しさ、努力、焦り、引退、才能、ビジネス、後悔…
さまざまなキーワードが飛び出し、その波乱万丈な人生について、訥々と語ってくれたのだ。

確かに、なかなかそんな深い話をインタビューです、ハイどうぞ!と言われても話せるはずがなく、
それを引き出すのがインタビュアーの腕のみせどころではあるのだが、今回は苦戦であった。
が、きっとこちら側の気持ちが多少なりとも伝わって、最後の最後に話をしてくれたんだと思う。

ありがとうございました、と頭を下げてジムを出たところで脱力。
「いい取材でしたね」とお互いに言い合い、ようやくホッと一安心して次の現場へと向かったのであった。
この記事は9/11発売の『昭和40年男』に掲載予定です。乞うご期待。

インタビューは具志堅さんのジムで行なった。リングのそばの独特の雰囲気のなか、話を聞くのは金子氏だ

◆副編集長:小笠原
北海道生まれの35歳。自分でコーヒーを豆から淹れるのが好きなのだが、最近は暑さのあまりホットコーヒーを飲む気になれず、会社の近所の安い喫茶店でアイスコーヒーをテイクアウトするのが日課に。早く買い置きの豆を使いきらないと酸化してしまう!

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で