フラッと訪れた昭和40年男トリオ。

浅草秘密基地月曜日だってのに、毎週バカバカしく盛り上がっている『浅草秘密基地』だ。一昨日も、この集合写真どおりの参加者たちが、終始アーでもないコーでもないと、初の来場者を含めて楽しい時間となった。毎回、10時を過ぎると家路につく者や、締めのラーメンを求めて席を立つ者、そして僕のようにダラダラ呑む者と、集まりがいい加減なら終わりもそんな幕引きとなる。

僕を含めて、すでに5人しか残っていなかったところに、マスターが作ってくれた『昭和40年男 浅草秘密基地』という小さな看板を見たと奇跡の来店者があった。医療関係に従事するトリオで、この日はタメ年同士で浅草での宴を楽しんだとのこと。一軒目を終え、フラフラと歩いていたところで『昭和40年男』の文字につられて入ってくるなり、昭和40年生まれなんだと話しかけてきた。雑誌の集いだと答えるとその中の1人が「あーっ、チャリンコ乗って雨に降られていたでしょ」と、なんとも懐かしい特集の話をしてくれた。彼はその後もちょくちょく『昭和40年男』を見てくれているそうで、彼以外の2人のタメ年はまったく知らないとのことだった(悲)。店に置いてある見本誌を渡すと、じっくりと眺めてくれた2人は「おもしろい」を繰り返しす。まっ、僕の前で「なんじゃこりゃー」とは言えないだろうが、それまでしこたま呑んでいたことも手伝ってか大声で笑ってくれた。雑誌を作っていてよかったと幸せを感じる時間だ。

チャリンコに乗って雨に降られていた記事とは、創刊から間もない第3号で夏をテーマに特集を組んだ中の企画だった。夏休みをでっかく遊ぶ提案ページにするのが当初の目的だった。飛行機で旭川まですっ飛んで、そこから最北端の宗谷岬までをチャリンコで走る、夏の醍醐味てんこ盛りの旅にしようと意気込んで取材にでかけた。提案としてリアリティを追求したいから、副編集長の個人所有のチャリンコを借りて、飛行機に積み込むところから企画をスタートさせ、3日間で宗谷岬を目指したのだった。3年前の6月発売号(当時は季刊)のことで、ロケは5月に行なった。

初めての本格的なチャリンコの旅は、サドルが合わなかったのかケツの激痛と戦いながらの悲惨なものになり、おそらくあの記事を見て旅立とうと思った読者さんは1人もいないだろう。完全な忍耐ドキュメントと化した企画は、最終日にはさらに極寒と豪雨をパッケージしてくれ、凄まじい行程になった。大げさなようだが、命レベルのことを考えさせるほどの、気が遠くなるような旅だったが、なんとかページにはしてお送りできた。これまで『昭和40年男』を作ってきて中でもっともキツい取材となり、おそらく生涯忘れない企画だろう。と、そんな想いをして作ったページのことを覚えてらっしゃる方がいて、しかも偶然に『浅草秘密基地』で一緒に酒を呑む。偶然が偶然を呼び、極上の時間となった。

偶然を呼べたのは、毎週やろうという意思と行動があったから。だがそれには時間やコストがかかり、そんな投資と呼ぶほどのものじゃないが、果たして効果があるのかどうかはわからん。いや、効果だけで考えたら無駄の固まりかもしれない。でも、こんな特上の時間が過ごせたことは明日に繋がるいい気分だった。毎週集ってくれる方々にとっても時間とコストはかかっていて、その見返りなんかないに等しい。でも、最高の笑顔でいつも過ごして互いに元気を分け合っている。今回、偶然に迷い込んでしまった(!?)3人も、また来ると言い残して店を出て行った。笑える時間を幸せと感じる心があるから、月曜日は毎週盛り上がっているのだ

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