鈴鹿8時間耐久取材記。〜昭和40年男 vs 真夏の太陽〜

先週末の24、25日に開催された鈴鹿8時間耐久レースにおける取材の裏側をお送りしている。
昨日も書いたとおり、今年の夏は暑さに折れかけていた。
俺はもう夏とは闘えないのか? 
もう夏男を名乗れないのか?
男の尊厳をかけた、大変重要な2日間の物語なのである。

涼しく快適なプレスルームから一歩外に出ると、不快指数120%の灼熱の太陽がビシバシ照りつける。
決勝前日の仕事は明日に向けての事前情報を集めることがメインで、
各チームと挨拶を交わすためピットをめぐる。
言うまでもなく、どこもクーラーなんか効いちゃいない。
みな汗を流しながら、それぞれの現場をさばいているのだ。
ピットを守る人間だけでなく、レーサーたちとも言葉を交わす。
彼らはこの暑さの中で革のつなぎを来て、さらにモンスターマシンのエンジンを股間にはさんでその熱をまともにくらう。
さらに路面は60℃を超えるのだから、その暑さたるや一体どれほどのものだろう。
だがそれはここで闘うすべての男たちにとってイコールコンディションなのだから
弱虫の俺みたいにあーだこーだとは言わない。
若いレーサーだって還暦のレーサーだってみんな前しか見ていないのだ。
ただ、路面温度が例年に増して高いそうで、タイヤのグリップ力が著しく低下すると語っていた。
あるライダーは「意識が朦朧とする」とも。
今年の異常なまでの猛暑はライダーたちにも襲いかかっているのである。

半袖で取材できる俺なんざ、彼らに比べたら極楽でしょう。
わかっちゃいるつもりだ。気持ちも徐々に高まってはいく。
だが、「あぢ〜い」を連発するダメな昭和40年男だ。
例年は8耐にいたるまでに、太陽に対する免疫というか肌の下地というものが、
イベントや取材現場である程度できあがっている。
それが今年は天気の悪い日が多く、都会っ子のような青白い肌のままだ。
そうだ、決して歳だからじゃない。
それに今年の猛暑はひどいってみんな言ってるし。
とごまかしてみたりするのだった。

この日のメイン取材はレースでなければ予選でもない。
“風の会”というすばらしい活動をレポートするのだ。
今日はこの会について綴ろうと思う。
ちょっと長くなるがまず背景から。
水谷勝という、かつて全日本レースをおおいに盛り上げた人気レーサーがいる。
今年還暦を迎えるのだが、なんとこの8時間耐久レースに出場している元気なオヤジである。
バイクブームを経験した人ならほとんどが知っているほどの人気者であるが、
当時ブルースにはまっていた俺はその活躍を知るはずもない。
出会いは2002年のここでの取材まで遡る。

『タンデムスタイル』という雑誌の編集長をやっていた俺に、知り合いの編集者から
「決勝の前日に水谷さんがバイクの2人乗りをネタになんかイベントをやるらしいから行った方がいいんじゃない」
と、きわめてラフな情報が入ってきた。
タンデムスタイルという雑誌名だから2人乗り(タンデムという)のイベントには行った方がいいというのも
そもそもいい加減な話なのだが、先に書いたとおり決勝前日はどちらかといえばネタ拾いの日であり、
何かあるところには動いた方がいいだろうと顔を出してみた。

そこはバイク2人乗りイベントなどという軽々しいものでなく、壮絶な場面が展開されていた。
車いすに乗った障害者が約40名ほどだろうか。
同じくらいの台数のバイクと、200名近い関係者たちが集まっていた。
その中には俺でも知っている有名なレーサーたちもいる。
えーっ、一体なにが始まるんだよ?
軽〜い気持ちで顔を出した俺は戸惑いながら質問をぶつけ始めたのだった。
今年ほどでないにしろ、やはりとてつもなく熱い夏の日のことだ。

あーん、長いのですもの。
続くのだよーん!!

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