ホーム > プロデューサーのつぶやき > もんじゃを知らない新宿区民。

もんじゃを知らない新宿区民。

2013 年 6 月 22 日 プロデューサー コメント

高校に入ったときに知った驚愕の事実が、新宿区の連中はもんじゃを知らないことだった。

ちょいと面倒な説明になるが、当時、東京都に住む中学生たちが公立高校を狙う場合、住む場所で学区と呼ばれるエリアに分類され、それぞれの学区の所属高校を受ける。しかも単独の○○高校という指名が出来ない。工業などの専門高校や普通科でも何校かはあったが、ほとんどが群制度と呼ばれたその名のとおり何校かの群れを受験するのだ。荒川区は台東・足立と一緒に5学区に分類されていて、51・52・53・91群と呼ばれる学力レベルの異なる4つのグループにそれぞれ3校ほどが入っていて、どの高校に配属されるかは神のみぞ知るという、なんだか今だったら情報番組とかが問題にしそうな制度である。

僕が受かった群には同級生20名程度が合格して、その振り分けに一喜一憂したものだ。チャリンコで行ける距離の高校に約7割が配属になったのは、なにかしらの配慮はあったのだろう。そして残りの3割、つまり6~7人程度が電車通学を余儀なくされる秋葉原が最寄りの、忍丘高校か一橋高校に振られた。そしてこの2校は特殊で、1学区と呼ばれる品川・新宿・大田といった山の手勢と混合になるのだ。これによって生じた様々なカルチャーショックたら凄まじいものだった。長い説明になってしまったが、もっともデカかったのがクラスメイトの「もんじゃなんて知らねえ」発言だったのである。そしてこの発言は後にもっとひどい言葉へと繋がっていく…。

カレー粉僕が住んでいた荒川区の中心地(!?)三ノ輪・町屋・三河島界隈には、鉄板が設置してある駄菓子屋がたくさんあった。大概1つなのだが、おそらく発展型で2~3つ置いてあって、猫の額ほどの駄菓子スペースがある店もあり、前者を駄菓子屋もんじゃ、後者をもんじゃ屋と分類した。子供たちを夢中にさせたもんじゃは、本場ではもんじゃ焼きとは呼ばない(笑)。30円とか50円とか、具によって値段が変わる。肉もんじゃはひき肉が入っていて、たいていの店でトップメニューだった。切りイカもんじゃ、しょうがもんじゃあたりが定番で、キャベツと揚げ玉(天かすなんて、そんな失礼な呼び方はしない)が入っているシンプルなものだった。これに自らがウスターソースで味付けして、そしてもちろん自らが焼く。ちなみに、カレーもんじゃはラインナップしている店と「おばちゃん、カレー粉入れて」と嘆願すると、ケチケチな量のカレー粉を入れてくれる店に別れた。赤いラベルのカレー粉は、僕らの熱い視線をいつもあびていたのだ。

そんな風に育った僕らで、この最高のごちそうは全国区だとばかり思っていたのだ。ところが、問題発言した新宿区のヤツだけでなく、1学区の連中はほとんどが知らなかった。僕はもんじゃ特別大使となり、そんなヤツらを荒川区に連れて行った。するとなんと「こんなゲロみたいなもの食えない」と言い放った先の新宿野郎だ。必死の説得にも応じない彼の分を全部食い、腹は満腹になったものの心は満たされない僕だった。

今でこそ全国に知れ渡るようになったもんじゃだが、30年ちょっと前には東京都でも知られた存在でなかったのである。(つづく)

 

 

  1. avatar
    jnoah
    2013年 6月 22日 17:27 | #1

    40年生まれの新宿戸山育ちの私
    馴染みの駄菓子屋数軒ありましたがすべてのお店
    鉄板はありませんでした。よってもんじゃ未体験
    ちょうど300ミリリットルコーラ瓶が出た頃かな
    チェリオ全盛のなか増量感が嬉しかった
    人気駄菓子ざっとあげると
    あんずジャム 細長い凍らせたあんず棒 あんこ玉 コーラ飴(シュワシュワで舌に色つく)
    オレンジガム(大箱のある位置が当たりとのうわさあり) Felixガム
    紙芝居屋は小学校低学年時の王子での記憶しかなく中学時代は接点なし
    よってソースせんべい 梅ジャム オレンジジャムは中学時代食せず
    今思えば ライダースナック プロ野球スナックも小学生の頃で終わったんでしょうね
    スーパーカー ガシャポン ヨーヨーも小学生時だし
    中学の頃の新宿公立学校生は 映画チラシ モデルガン スロットレーシング 
    タミヤ電動ラジコンでした。
    表参道キディランド 渋谷ポストホビー 中野ブロード… 新宿三越裏のMGC通いが
    定番だった。

  2. コメントありがとうございます。我が家の冷蔵庫にはあんず棒がいまだに凍っていますよ。コーラ飴、僕も大好きでした。
    MGCは上野でした。

    avatar
    プロデューサー
  3. 2013年 6月 22日 20:39 | #2

    忍丘→忍岡ですよ~~。

    もんじゃ、大好きだったけどいま食べたいかと?聞かれるとそんなでもない気が・・・。
    あの小さいヘラで食べるにのは多少のテクも必要でしたね。

  4. avatar
    KK
    2013年 6月 24日 02:57 | #3

    42年生まれ新宿区早稲田育ちでけっこう色々な駄菓子屋行ってましたが、もんじゃは無かったですね。というかどの店も狭くて鉄板置くスペースなど無かった気がします。で、その流れで今まで1度ももんじゃを食べずに生きています。メンコやベーゴマなどはやってました。流行った最後の世代だと思うのですが。
    残念ながら今グーグルマップで当時の駄菓子屋の場所を見ると全滅のようです。玩具屋はいくつか残ってるのですけどねー。

  5. avatar
    山内
    2013年 6月 24日 10:20 | #4

    40年に狛江で生まれました。
    少年時代、もんじゃ焼きというのは存在は知っていましたが見たこともなく、お好み焼きのほうが馴染みがありました。
    結婚してカミさんの実家のある葛飾に引っ越してきたところ、カミさんも義父もお好み焼き屋では必ずもんじゃ焼きを食べるので、同じ東京でもずいぶん食文化が違うんだなと思ったものです。