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大編集後記その参。ヤマハDX7の衝撃。

2013 年 3 月 8 日 プロデューサー コメント

ヤマハDX-7

 

トラックに積まれた『昭和40年男vol.18』が、西へ東へ南へ北へと旅の途中だろう。がんばれと祈るような気持ちの今日である。

今回の特集で取り上げた10のパーツの中で、多くの方々に聞き馴染みのない存在がヤマハDX7だろう。わかっている。わかってはいるのだがコイツをこの特集に入れなければ、僕らのアイデンティティは失われてしまうとの強い想いを込めてラインナップさせた。

それまでもシンセサイザーは存在した。だがDX7が登場したことによって、それまでのシンセサイザーはすべて何十年分も過去のものへと後退させられたのだ。昭和58年の3月のことで、高校3年生に上がったばかりだった。周囲は完全に大学進学モードに突入している中で、僕はバイトをしながら地べたにはいつくばってロックに生きるコースを選択していた。そのバンド編成は、ドラム・ベース・ギター・鍵盤と僕の5人で、全員がDX7の登場に度肝を抜かれた。詳しくは本誌をご覧いただくことにするが、これほどまでに一瞬にして歴史を変えてしまったのは、秀吉の一夜城以来である(笑)。それくらいショッキングなことだった。その性能で、瞬く間に音楽シーンを席巻し、レンタルスタジオにも次々導入されたから、そのクオリティにバンド全員が衝撃を受けたのだった。

それまで、まともなシンセといえば100万円超えだったのに、24万8千円という価格もまた衝撃的で、プロミュージシャンだけでなくバイトに明け暮れるアマチュアでも炎のローンを組めば手に入る価格だった。世の中のキーボディストたちはみんなバンドメンバーから強く薦められたことだろう。うちも例外でなく「買えよ、DX」と、まるでヤマハの営業マンのごとく迫った。そうして、多くのキーボディストたちはバイトの時間を増やして炎のローンを組んだのだ。よくよく考えるとバンドの担当楽器というのは実に不平等である。僕はギターを弾くボーカリストだったから若干の投資はしたが、もしもスティーブン・タイラースタイルを貫くのであれば、楽器への投資はまったく必要ない。

我がバンドのキーボディストも他のメンバー4人の薦めにより、またもちろん本人の希望もあり早い段階で購入した。そのサウンドったら、もうバンドに羽が生えたかのようだった。管楽器の音も出るし、ストリングスの音も様々な音を選べた。だが、バイトを昼夜掛け持つようになり、練習時間の捻出のため睡眠時間は格段に減った。僕もそうだが、学校とバイト、バンド練習と個人練習、さらに作詞作曲と、まさに寝る間を惜しんで活動していた。これによって鍛えられ、現在のショートスリーパーに繋がったことは恩恵なのかもしれない。

今回の特集タイトルは『俺たちを虜にしたテクノロジー』で、このタイトルにまさにピッタリハマるDX7だ。表紙にしたマブチモーターは、俺たち昭和40年男にとっての重大なテクノロジーという意味で取り上げた。それも我々のアイデンティティであり、一方このDX7は人類音楽史においての存在でありながら、高校3年生のときに登場したという点で取り上げるべきフィット感があると判断した。音楽にまったく縁遠かった読者諸氏も、この名器のことを知識にしてほしい。

 

 

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