あと何年、どうやって生きる?

毎朝、お気に入りサイトを一通りチェックする。
1日の気合いが入るものや、考えさせられるものや、
とにかく自分の好きな人たちの言葉で気持ちに活を入れる。
なにも更新されていないとちょっぴり残念な気持ちになる(だよっ、そこのあなたとかあなた!!)。
だからね、俺も朝イチには更新された状態にしておきたいのだけど、
ここのところちょっと後手に回っております(反省)。

さて、昨日の朝のことだが、とあるブログを読んでちょっと考えさせられた。
48歳の方のブログで、要約すると
あるコンサートでとなりに尊敬する96歳の音楽評論家が座った。
自分の一生分をもう一回分生きているという方に遭遇したわけで
いままで自分が手に入れることができた分の人生を再度獲得可能だとつづっていた。
なんでもできると。
音楽家だって語学だって映像クリエイターにだってなれると。
これまでの延長線上で生きていくと決め込んでいたのに、
違うゴールがあるかもしれないことを知ったと結んでいた。

うん確かに。
俺たちが今年45歳だからダブルスコアで90歳だ。
まだまだ元気な方がたくさんいるよね。
元総理の中曽根さんなんか怪物だよね(今年92歳)。

俺はこれまで、60歳以上の自分をイメージしたくなかった。
そこに執着したくないというか、目標にしたくないというか、
ひとまず60歳までをがむしゃらに生きてその後はどうにでもなれってね。
以前書いたように、死には徹底的に抵抗したいが、
今をダイナミックに生きなければ死んでいるのと一緒だという気持ちで、
ついついそれを自分に押し込むために、60歳終結論(?)にしていたのかもしれない。
なんだか、彼の文章を読んでいてそんなことを深く考えてしまった昨日だった。

一夜明けて答えが出るわけじゃないが、始めたら始まりなんだと大好きなシオンも歌っていたしね。
俺にとっては今『昭和40年男』がまさにそうであり、毎日悩ましくかつ楽しく過ごしてはいる。
でももう一歩俯瞰して自分の時間を考えてみると
まだまだ可能性はたくさんあって、始めることはいくらでもできる。
一方で壊すことだって、降りることだってできる。
継続していくことのすばらしさだって、すごくよく知っている。
さまざまな選択肢があって、そういう年齢でもあるんだなぁ今年45歳の俺たちは。

もっと急がなくちゃといつも思っている自分もいて
でもなかなかうまくいかなかったり、流されてしまったり、邪魔されたり…。
おっと、ダメだダメだ、敵は己の中にいるのじゃ。
自分の武器をどんどん鋭くしていって、もっともっと攻撃していきたい。
それをこれまでの延長線上だけで考えるのではなく、もっと大きな視点をもって走ろう。
そのために今日1日を無駄にしないように、みなさんお互いがんばりましょう。

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