ジャンピン・ジャック・フラッシュの夜。

ローリングストーンズ ジャンピン・ジャック・フラッシュ昨日はライブだった。ライブとはいっても、自動車関連メーカーの懇親会の宴会芸なのだが、やるからには本気でやるがモットーのワタクシとしてはもちろん全力で演奏したのだった。去年も参加させていただき大暴れした僕だが、今年はもっともっとやったれと去年以上に暴れまくった。編集部の金子もベースを新調(中古だが)して、原稿をほっぽり出して弾きまくった。客席からはお目付役の副編集長小笠原の眼が光り、その視線を避けながら2人はがんばったのだった。

来ていただいたお客さんたちの歌サポートするための演奏で、じつにバラエティに富んだ選曲がなされている。ではどうでもいいことかもしれんが、セットリストを公表させていただこう。

1.バースデイ/ビートルズ
2.翼の折れたエンジェル/中村あゆみ
3.ジャンピン・ジャック・フラッシュ/ローリング・ストーンズ
4.振り向かないで/ザ・ピーナッツ
5.チェリー/スピッツ
6.小さな恋の歌/モンゴル800
7.今宵の月のように/エレファントカシマシ
8.石狩挽歌/北原ミレイ
9.ずっと好きだった/斉藤和義
10.涙をふいて/三好鉄生

ハハハ、なんでもありなスゴイ選曲である。これらをお客さんたちが取っ替え引っ替え1曲ずつ熱唱するのだ。本来はそのバックバンドに徹するはずなのだが、去年からバンドだけでの演奏も披露することになり、今回は頭から3曲をバンドだけでやって英語の2曲を僕が歌ったのだ。なぜこの2曲かといえば、ビートルズはデビュー50周年で、ストーンズは結成50周年だからとのお祝いを込めての選曲で、オープニングはまさに『バースデイ』となったのだ。間にコーラスを担当した女性ボーカルによる歌唱を挟み、そして『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』である。

この曲を歌うということはロックマシンに変身してしまう。こうしたパーティで、しかも普段お世話になっている方々が大勢みえている中で、ロックマシンに変身していいのだろうかとの気持ちがあった。僕ごときが偉そうに語らせていただくが、ロックってヤツは当然ながらロックしなければまるっきりカタチにならない。ロックする? 明確な言葉にすることはできないが、ロックなるものにハマってしまった人間にとっては永遠のテーマであり、多くのロッカーたちをその見本として崇めてきた。ストーンズはまさしくロックな連中であり、ミック・ジャガーこそロックそのものなのだ。10代の頃より本物のロックを目指しながらの今まだ旅の途中であることは才能が乏しいからだが、それでもやり続けてきたロック魂やスタイルが僕にもある。この曲を演奏するということはその自分のすべてをさらけ出すことになり、いつもスーツを着て会っている方々に見せるのは少々怖くもあり、もう少しロックでない選曲の方がよかった(去年はスタンド・バイ・ミー)のだが、そんなワガママはここのバンマスに通用するわけがない。結局、めいっぱいさらけ出したのだった。

かつて小僧時代を過ごした販促屋さんで、大手保険会社を担当したときのこと。新しい担当者と仕事を始めるときにほとんどの人が「北村さんはどちらを出ているのですか」とくる。高卒の僕にはつらい質問で、ましてやロックに狂って旅していたなんてのは多分通用しないのだろうなと音楽活動のことはふれたことがなかった。今考えるとじつにバカバカしいと一蹴できるのだが、小僧にとってはともかく重苦しい方々だったのだ。それに比べてこの業界のネジの外れっぷりといったらそんな空気はまったくなくて、むしろとんでもないことを喜んでくれる。めいっぱいさらけ出したロックに喜んでおつき合いいただいた(ようだ)。

『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』はやはり名曲だな。今回改めて思ったのは、これほどライブに適している曲は少ないとのこと。リズムの表情がつけやすくて、ぶちかましてやるとの言葉がピッタリくる。またいつか歌いたいものだ。

もう1つの発見は『石狩挽歌』だ。昭和50年のヒットだから当時はただの演歌で片付けていたが、現在の年齢となった昭和40年男には相当染み入る名曲である。ニシンで栄えた小樽を舞台にしたまさに挽歌で、こんなにすばらしい楽曲を見逃していたのを今となっては恥ずかしく思うくらいだ。やはりさすがといえばいいのか、憂歌団がカバーしているのにはうなずかされた。僕もコイツをカバーして『浅草秘密基地』で披露しようと取り組み始めた。それにしても、音楽っていいものだなと本当に幸せな気分であり、味わった昨夜だった。

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