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明日に向かって、打つべし。

2012 年 11 月 4 日 プロデューサー コメント

ついに次号特集の片鱗が見え始めた…って、そんなおおげさな(笑)。昨日は、小学生時代にバッチリフィットした大ブーム『ローラースルーGOGO』 を取り上げたことを発表させてもらった。では続いては。中学生になり、いろんな誘惑が一気に増えた頃のブームを思い出してみよう。いやあ、アレもコレもで収拾がつかないはずで、同じく編集会議でもケンケンガクガクといろんな意見が出た。そしてさんざん悩んだ末、ここに行きついたのである。ジャン!!

『スペース インベーダー』


おおっ、そうだコレだと、今みなさん深く頷いたでしょ。社会現象であり、まさに大ブームであった。

 

 




なんといって も中1の頃だったことが大きい。突如としてブームが巻き起こった。ブームにのって次々とオープンするゲームセンターは、荒くれ男たちの社交場だった。隣中学との間にできれば、そこは一触即発の緊張感が常に走り、自分の学校に近ければ怖い先輩がいつ来るかビクビクしていた。当時中1の僕たちは、ゲームセンターに出入りする荒くれどものなかでは最年少、最下点にいたのだ。余談ながら、ゲームセンターに小学生がたまに紛れ込んできても、ハードボイルドワールドから見たら蚊帳の外だからやさしくされて 楽々遊べちゃうのがうらやましかった。中学入学はいわゆる元服で「バイオレンスへ、いらっしゃ〜い」なのだ。その中1のときにインペーダーゲームが流行ったの は、昭和40年男にとっては悲哀に包まれた運命であり、だが、そんなバイオレンスワールドへ足を踏み入れる興奮や背伸びも含めて、インベーダーゲームはより心に強く刻まれた。

 

 

「インべーダーいこうぜ」と、安全確保のために何人かで連るんで出かける。自分の中学の縄張り(!?)のゲーセンを巡り、人がまばらなところを狙って入店する。やがて先輩がドヤドヤ入ってくると、それはすなわちゲームオーバーである。最下点民は出て行くか、ギャラリーになるかの鉄の掟に従わなければならない。そして虐げられた最下点民たちは、やがてオアシスを見つけるのだっ た。


「ハードボイルドなんかいいっ。ゲームがしたいんだ」と、俺たちが逃げ込んだのはオンナ子供の聖地、イトーヨーカ堂の屋上だった。大ブームはこんな設置場所まで用意したのだ。野外で明る過ぎるから画面は見えづらいが、先輩たちに睨まれているよりはよっぽどましだと、男のプライドと引き換えに遊んだ。

 

 

「打つべし打つべし」と声に気合いが入る者。やたらとレバーの扱いがパワフルで台を揺り動かす者。どいつもコイツも100円という超大金を使うわけだから、その人間が持つ本性をさらけ出すことになる。昭和40年男にとって、これほど多くのことを教えてくれたブームは珍しい。やがて学年があがり、大きな顔でゲームセンターに出入りできるようになると、見計らったようにブームが沈静化していくのも、昭和40年男の悲哀の運命をますます際立たせまるでコメディのようである。


今回のインベーダーの記事には、僕らの財布を直撃した重要参考人…、じゃなく張本人である、タイトーの元祖『スペース インベーダー』の開発者に登場願った。コイツがまたおもしろい話だから、乞うご期待ですぞ。

※明日の『浅草秘密基地』は、店主メンテナンスのため店休となるため開催しません。

  1. avatar
    慶塚 英信
    2012年 11月 11日 22:24 | #1

    自分も40年生まれなので、毎回楽しみに拝読しています。

    スペース・インベーダーの流行った頃は、生まれ故郷の井波(現南砺市)周辺には今のように大型店舗はなく、
    街の商店街には、まだまだ活気が有り夏祭り(瑞泉寺の太子伝)の1週間程は、夕方から深夜までは歩行者天国で瑞泉寺までの本町通リの各商店街は思考を凝らしイベントを行い大勢の人で賑わっていました。
    その中程の商店で育ちましたが、この夏祭りの期間は毎日イベント盛りだくさんで、風船の中に景品を書いた紙を入れ商店街に吊るして時間になるとばらまいたり、セリ市、こぶたレースにアヒルレース、生バンドの演奏など盛りだくさんのイベントをしていました、なかでもインベーダの流行った時にはその大通りにインベーダーのテーブルゲームを20台程並べて街の電気屋さんのプロジェクター画面で映してチャンピオン大会をして大盛り上りでした、あの頃は娯楽も少なく祭りになれば人も集まりましたが、今年訪れるとイベントも限定の場所になり人も少なくさみしいものでした。
    インベーダーの記事を読み昔の賑わいを思いだし思わずつまらないコメントいたしました。