次号の表紙はジョン・トラボルタ!?

本来の作業ペースを完全に逸脱して、まだ作業をしている編集部である。印刷所に方々にひたすら謝りながらの時間が過ぎていく。いやー、難産である。

さて、昨日お伝えした通り、次号の特集テーマは夢中になった『ブーム』だ。物欲旺盛な昭和40年男にとって、次々と巻き起こったブームは乗るか乗らないかの厳しい選択をいつも強いられた。今ほど細分化されていないものの、僕らの時代は年齢とともに細分化が進んでいった。小中学生の頃はマスメディアや大メーカーの仕掛けに乗る格好でのブームだったが、やがて徐々にサブカルやファッションといった、なんだか実態のよくわからんブームが10代の半ばくらいから少しずつ世の中に浸透していく。ジワジワとジワジワと、カタチがないものがシミ込んでくる感じがなんともいえなかった。テレビじゃ教えちゃくれない。深夜ラジオや雑誌、先輩たちとの接触で知り得ていくことの不気味さとハマったときの心地よさは、常用性のある薬物的とでもいえばいいのか、とにかくそれまで接したことのないブームの感触だった。だって、これらにハマったところでクラスには数名しか話がわかるヤツがいなくて、でもハマっているものだからそいつらにとっては情報交換が至福の瞬間だったりして、小中学校では経験できなかった間隔だった。

5歳年上の従兄弟がいて、中2の夏休みに一泊した日をハッキリと覚えている。僕の実家にはとうとう存在しなかったひとり部屋に布団を敷いて、深夜まで大学生活のことを話してくれた。従兄弟が通う『ディスコ』やフテッションについて初めて触れ、瞬間的に憧れた。そんな話をしながら、次々にダンスミュージックをターンテーブルに乗せる従兄弟は、数年前に坊主頭で白球を追っていた彼でなく、きっとこれが僕が初めてリアルに触れた、サブカルチャーな人だった。ともかく大学ではディスコが大ブームで、中2の僕の愛読書である『ミュージックライフ』にも、アメリカの若者はみんなディスコに行っているのだろうと思わされる記事が多かったから、大きくなったらディスコに行こうと誓った夜だった(爆笑)。

ハハーン、ディスコブームを取り上げたのだなと思ったあなたは、残念ながらブーッだ。この雑誌が『昭和35年男』だったらひょっとしたら特集のド頭を飾って、ジョン・トラボルタが表紙だったかもしれないが、ディスコ通いした昭和40年男は、大ブームが巻き起こって完全に定着してからのディスコピープルである。こだわっていきたい「昭和40年男にとってのプーム」ではないのだ。さて、二晩も引っ張ってしまったが、果たして僕らはなにを題材にしたのだろうか? フッフッフ。

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