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再結成がなくなった憂歌団。

2012 年 10 月 3 日 プロデューサー コメント

憂歌団のドラマー、島田和夫さんが亡くなったと今朝知った。憂歌団は必ず再結成する。そしてもう、直前の段階に入っていると思っていた。一昨年の春に、憂歌団の木村さんに本誌でインタビューした際も、直接的にその話題にはいたらなかったものの、なんとなく感じさせたのだった。

僕はかつて大阪に住んだことがある。そうしたいと思ったのは、憂歌団なる偉大なバンドが関西から生まれたとの理由がもっとも大きかった。昭和60年のことで、関西からはイキのいいハードロックバンドが次々に出ていたころだが、それはうわべのことと感じさせるほどブルースが根づいていた。僕が旅に出た昭和60年よりさかのぼること10年、すでに彼ら憂歌団は名曲『おそうじオバチャン』でデビューしていた。天使のダミ声の異名をとる木村さんのヴォーカルと、日本人屈指のブルースギタリストの勘太郎さんのギターが強力な2枚看板であったが、それをしっかり支える土台となったリズム隊は、やはり最強のコンビだった。日本人が演奏するブルースの頂点といえるところに居続けたのは、デビュー以来不動だった4人によってだから成せたことであり、島田さんがいたからフロントの2枚看板は自由奔放に泳げた。結果、日本最高峰であり、特上のサウンドを提供し続けられたのだ。

憂歌団は休止中であり、解散したわけではなかった。スタートは高校の学祭に向けて結成されたバンドで、そのまま活動を続けていくうちに日本を代表するバンドへと育った。結成から不動のメンバーで突っ走った4人が揃うことは、残念なことに永遠になくなってしまった。きっと活動再開へと向かっていたはずで、その日が来たら以前よりすばらしい演奏へと昇華していることと僕は疑わなかった。それは彼らの音楽が若さという武器よりも、熟成の方がより大きな武器になるからだ。加えて、98年に活動休止したのは、一旦離れてそれぞれに音楽と向き合う時間が必要になったのからだろう。その時間がメンバーそれぞれにいい影響を及ぼして、以前よりすごみを増したプレイヤーが集ったバンドとなって帰ってくるはずだとも信じていた。

 

木村さんのサイトには「言葉にできることではない」と書かれていた。一緒に過ごした時間のなかで、切磋琢磨しながら成長してきた3人だ。本人たちの胸の痛みを考えると、僕のようなファンの悲しみごとき比べ物にならないが、島田さんの存在は僕の人生へと確実に繋がっている。あの凄まじい演奏がなかったら、僕は大阪に住むことを考えなかっただろう。そしてもしもあの日に西へと旅立たなかったら、今の僕はいない。偶然の積み重ねもまた人生なのだろう。そのひとつに島田さんがいる。

島田さん、ありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

  1. avatar
    B太
    2012年 10月 3日 21:24 | #1

    そうだったのですね、、、。
    憂歌団といえば、私はパチンコブギが激烈に印象深いです。
    それから約20年後に、鬼平犯科帳のエンディング 、、別れても、ス……じゃなくて、「別れの
    譜」を聴いた時の涙は、一生忘れられない。。。

  2. avatar
    B太
    2012年 10月 5日 20:57 | #2

    わかれのうた、、、は、神谷玄次郎捕物控のエンディングだったんですね。
    ウルオボエの記憶だけでコメントして、すみませんでした。
    wikiは、これからは、もっと活用するようなしたいかな〜と思います。