死について考える。〜その2 宮崎にて〜

ヤツの住んでいた街の駅。雲ひとつない青空がかえって哀しい
ヤツの住んでいた街の駅。雲ひとつない青空がかえって哀しい

九州でバイクイベントの仕事がある。
またまた余談ながら、小さな会社のトップなんざなんだってやる。
編集長をいくつもこなし、営業も経理も掃除もやる。
たまたまこの週末(4/11)はバイクイベントがあり、その対象雑誌の編集長だということだ。

俺はイベントスタッフとは別行動を取り、一足先に九州宮崎へと向かった。
同時にヤツの死を受け止めなければならないのだから、これほどツライ旅はそうそうあるものではない。
羽田を飛び立ち、宮崎空港に着いた。
南国ではもう桜に葉が混ざっていて、美しさを誇れることなく、舞い散る花びらで存在を誇示している。
たった2両で走る電車に乗り、ヤツの住む街を目指した。
駅員のいない駅を降りると、果物や乾物を売る店に花がおいてあったのでひとつもらった。
すべてのアクションが自分のことながら悲しすぎる。

ロックのことしか頭になかった俺に、ヤツは知識をつけることのすばらしさを教えてくれた。
居酒屋で働いていたころ、営業が始まる前に遅い昼食を毎日のように一緒にとる。
たったの20分程度ながら、そこでヤツは毎回テーマを変え講釈をうってくれた。
「さあ、始めようか。今日は日本人について。よし、まずは天照皇大神からいってみよー」
とか言いながら、わかりやすく解説してくれる。
「あなたが好きだと言っている幕末の時代を点でとらえちゃダメだよ」
とも教えてもらった。
歴史だけでなく経済や政治にまでおよぶ講義は、今さらながら頭が下がる。
知識をまとうことのかっこよさ、すばらしさを教えてくれた人だ。

そんな日々を想い出しながら、
そしてこのことの礼を伝えていなかったことを後悔しながら、
ヤツの家までとぼとぼと歩いた。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で