誠意あふれる一皿が消える!?

「北村さん、店を閉めることにしましたよ」「?」「9月いっぱいでね」「…そ、そんなあ」。

我が社はかつて、東京都港区赤坂にオフィスを構えていた。この業界に入って初めて勤めた会社も赤坂だった。僕にとって特別な想いのある土地で、いつかまた赤坂にオフィスを戻したいと思っているほどだ。かつて親しんだ街だから好きな呑み屋が多く、そのなかでも最高峰に君臨する店が、赤坂サカスそばにある『五番館』だ。次号掲載予定の伊勢正三さんのインタビューや、ずいぶんと前になるが僕のすべてをかけた(笑)特集『呑んべえ万歳』では、林田健司さんとやらせなしでしこたま呑んで語り合った店だ。

看板にはふぐやうなぎの文字が踊る、いかにも赤坂といった敷居の高そうな雰囲気の店。なぜ僕が常連になれたのか? 酔っぱらった勢いに助けられ、遅い時間に勇気を振り絞って飛び込んたのがキッカケだ。そこで見た親父さんの目のきれいなこと。笑顔のやさいしいこと。受けた印象がそのまま出たような誠意あふれる料理は、やさしい味と表現するのがもっとも似合っている。それでいて甘ったるくないキリリとした味は僕好みで、それまで知らない世界を手に入れた気がした。恐れていた値段は、呑むと小食になる僕にはそれほど高くは付かないから、いつの間にか常連となった。長っ尻で、肴を2~3品で焼酎を呑み続ける、ありがたくない客だが、親父さんはいつも笑顔で迎え入れてくれる。『昭和40年男』のスタッフ決起大会でもちょくちょく使っていて、今年の躍進を誓いあった新年会もここで開いた。僕にとって、人生でもっとも世話になっている店の1つなのだ。その親父さんと先日、冒頭の言葉を交わしたのだった。

飲食店の経営環境は、特に近年厳しさを増すばかりだ。うまい、安い、早いが常識となり、それは職人の世界にどんどん浸食してきている。パスタやステーキなどの洋食系や、中華、焼き肉、どんぶりものはあたり前。寿司、天ぷら、とんかつなどの高等技術も機械で補ったり、低品質を値段で納得させたりと、企業努力といえばそれまでだがあまりにも志の低いものになっている。確かに大量仕入れで材料は安価でいいモノがそろう。だが料理には心が必要であり、まるでベルトコンベアに乗せた作業のごとく大量生産されたものが歓迎されるのは寂しい。僕だってお世話になることはちょくちょくあるが、たまの贅沢にこの五番館のような、少々高くても誠意あふれる店は必要なはずだ。いいものに触れていないといいものがわからなくなる。大した舌ではないが、味わえば一皿に込められたものがいかに深いかは理解できる、親父さんの料理の数々だ。

もちろん、そんななかで創意工夫を繰り返しながらがんばっている老舗飲食店も多く存在するから、親父さんは負けたともいえる。だがそんな生き残りレースを険しいものにしているのが、資本を武器にした大量生産店舗であり、今後五番館のような店はますます苦戦を強いられていくだろう。このまま激化の一途をたどっていけば飲食街に品格や味わいがドンドンなくなっていくことになる。事実、赤坂はかつての輝きを日に日に失っている。

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