第2号の制作現場を振り返る。〜そして戦い続ける〜

第2号の制作現場での出来事や想いなんぞを綴っている。
今回は第1特集である“タメ年たちのリアル”に掲載した
西田さん(P68・69)の現場から、第4回目。

取材途中に涙をこぼし始めた西田さん。
このときのヤマハが用意してくれた広い部屋には、
長い沈黙の時間が生まれた。
俺も担当者として同席した広報マン(彼も昭和40年男)も
言葉を発せずにいた。
涙が頬を伝っていく姿を、うらやましく思いながら見ているだけだった。

少し落ち着いた西田さんに、ポツポツと質問を続けていった。
市販車で世界最高レベルの走りを提供するカテゴリーでの開発現場の話だ。
技術の進化はすさまじく、その中でよそと競争しながら最高のものを作る。
最高とはすなわち性能であって、
嗜好性とかテイストとか、
そんな曖昧なもので逃げられないカテゴリーなのである。

たとえばアメリカンスタイルのバイクだと、
デザインや味付けが大きな要素になるから
失敗しても技術者にかかってくる責任は分散されたうえでのことになる。
だが、このカテゴリーでは
ユーザーもマスコミもただ一点、性能だけを追求してくるのだ。
そこでコンビを組んだのがエンジン開発者であり、2つ下の藤原さんだった。
年齢限定の雑誌だからほとんど登場させられないと伝えたのだが、
自分の仕事史を語るうえで彼は欠かせないということでの同席であった。
そして彼も西田さん同様、同じマシンの同じ年式の話で泣いた。

車体とエンジンの開発は非常に密接なもので、
とくにこういった性能主義のモデルではそうである。
寝る間を惜しんでの作業を二人三脚で進めていった。
この辺もうらやましい。
信頼できる技術者同士がお互いの技術を引き出し合いながら、
世界の最高峰を目指し達成したのだから。
「戦友ですね」と俺は言った。

今は異なる部署に移り、今も2人は闘っている。
その姿はすがすがしくあり、
やっぱり負けちゃいられねえと意識が高まった現場なのであった。

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