「なみだの操」はなぜ売れた?

皆さ~ん、ドンドン投票してくださ~い。3番勝負ですよ~!!

「なみだの操」と「長崎は今日も雨だった」の2曲を “演歌” とするには少々無理があるが、あの頃の僕らはそうとらえていたはずだ。親父たちが好みそう=演歌との乱暴な解釈をしていたのだ。てなわけで、3番勝負の2発目は、昭和40年男の記憶に強烈に残っている男性コーラスグループによる対決だ。さあ、皆さんで決着をつけてくれ。

まずは殿さまキングスの「なみだの操」。昭和48年の11月発売で年が明けてからジワジワとチャートを上がり、なんと翌年のオリコンチャートナンバーワンを獲得している。小学生のまだ低学年ながら、こんな歌詞を口ずさんでいたのだからなんて早熟な俺たちだ(意味はよくわかっていなかったが)。この曲がなぜこんな大ヒットになったのか? 当時の僕の親父による解説では、色男が歌ったら売れなかった。ちょっとカッコ悪い男が、切実な女心を歌い上げたから売れたとの名ゼリフ(迷ゼリフ)を残していた。そんなものなのかと軽く受け流しながらも、しっかりと記憶に残っている言葉だ。今考えるとたしかに、あの愛嬌あるルックスにして、待ち続ける女心をこぶしたっぷりに歌うのは、世の男性たちの支持を集めるいいバランスなのかもしれないと頷いている。曲名が「女の操」でないことも仕掛けている感じがする。さらに “涙” とか “みさお” とか、漢字かひらがなにするかを悩んだ形跡を感じてしまうのだがいかがなものだろう。ともかく昭和を代表する一曲ですな。

一方の内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」は、彼らのメジャーデビュー曲で、昭和44年リリースというのは意外に感じるタメ年男が多いのではないか? ヒットの様子をリアルタイムでは知らないのだ。なのに強烈な記憶に残っているのは『欽ちゃんのドンとやってみよう!』で、コント54号として前川 清が大ブレイクしたからだろう。彼らの代表曲ということでこの曲を耳にすることが増え、さらに「東京砂漠」のヒットが昭和40年男にとってリアルタイムでのクールファイブ体験だろう。だが、どうしても「長崎は今日も雨だった」の方が印象に強く、クールファイブらしい曲だととらえている僕らじゃないだろうか。さらに記憶を探っていくと、当時疑問だったのはなぜ前川清とクールファイブじゃなかったのかということだが、こうした疑問は子供心ならではですな。

あらためてこの2曲を聴くと、歌のうまさがキラリと光る。またシンプルな歌詞が魅力的で、それをキッチリと伝えようとする丁寧な歌唱が気持ちいい。タイプは異なるが、レベルの高いボーカリストを立てたコーラスグループの勝敗やいかに?

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