大編集後記その壱。鶴光さんに悩む。

発売日の11日までカウントダウンとなった。本日よりは次号 (vol.14) のPRをかねて、今回の制作を振り返りながらの大編集後記とさせていただきましょう。これまで小出しにしてきたネタとの若干のかぶりは、ご容赦願いたい。

14冊目となった今号の特集は、『ラジオ』をテーマに展開することにした。ある日の編集会議で、みんなにいくつかのテーマを振ってみた。その中で「ラジオはどうかなあ」との問いが最もケンケンガクガクとなったから、こりゃーいけるだろうと決定は割と早かった。が、問題はここからだ。実際にページにして考えていく段階になると、様々な問題やテーマに対する具体的なアプローチ、実際のところどんなネタがおもしろいのかとなっていく。加えて強烈な核となる対象がほしい。

「売れるなら、毎号印籠、出しましょう」とは、自身が綴り足しながら作っている編集長マニュアルの一文だ。これは我が社から出た編集長に渡す『一子相伝 (ってこれまで4人生まれたが) 、編集長の掟』との檄文のペースになっているもので、進化を続けている総ページ598ページの大作 (ちょっとウソ) だ。今回のウチのラジオ特集でいくと、鶴光さんのオールナイトニッポンの話は確実に印籠である。表紙だって鶴光さんがマイクに向かっていればもうそれでOKで、ニッポン放送さんから昔のマイクを借りてきてスタジオ撮影すればバッチリだ。いいじゃん、印籠出しちゃえ… とならないあたりが、逆に言葉を教訓にしている所以だろう。

売れることがすべてじゃないなんてカッコつける気はない。売れて支持されることを否定するヤツは、そもそも仕事なんかしないで山にこもってろと思う。大なり小なり金が入ってくることでまた作れるし、クリエイティブができる。だからこその教訓「売れるなら、毎号印籠、出しましょう」である。でもだからってなんでもやるのかと聞かれれば、そんなことはないと答えてしまう未熟者だ。ただ、精神としては「売れるなら、毎号印籠、出しましょう」くらいに思っていないと、いつの間にか変化球ばかりを投げて「ちっ、まだ時代がついてこないぜ」とか言って、失敗を肯定する卑怯者になってしまう気がする。

まあ、言いたいことはさじ加減である。同じ企画を精度を上げて登場させるのもよし。突っぱらかって、でもうまく印籠はちらつかせたりするのもよし。どたらもさじ加減の問題でいかようにもなる。そんなさじの使い方のセンスが問われるという意味では、雑誌ほど高く求められる世界はないと思い込ませている自分がいる。だってね、雑誌表現における遊びや香り、ちょっとした意地悪が大好きな僕だ。でも売れない雑誌はクズだと親の仇のように思うから「売れるなら、毎号印籠、出しましょう」との言葉を、いわば強制器具のようにしている。

事実僕自身が、『ターザン』の腹を凹ませる特集はこれまでの人生で5冊以上買っているし、洋楽好きで音楽雑誌を買っていた頃は、お気に入りのミュージシャンが表紙を飾ってロングインタビューが入っている号は泣く泣く買わされた。売れる要素とはそんなものなのだ (って、その記事内容には苦労がつきまとうことは前提で) 。ただ今回、オールナイトニッポンという切り口がまったく同じ鶴光さんを核にすることには、僕のさじは動かなかった。

フッフッフ、てな具合にグダグダ語らせてもらおうじゃないの。つづく。
 

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