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『不寛容と闘わない寛容』

2012 年 4 月 6 日 プロデューサー コメント

仕事の移動で地下鉄に乗ると、かすかながら冷房が効いていた。東京の街は桜も満開を迎えていて、この週末は去年の自粛分までを巻き込んだ宴がいたるところで繰り広げられることだろう。それにしても極端な季節変化である。つい10日ほど前に梅の満開を見て、沈丁花の香りに酔ったばかりだ。その時点でモクレンはまだ開いておらず、まるで2月中旬の様子だったのに、突然の春の到来だ。

ここ数年感じるのは、季節の変わり目にあったグラデーション期間といったらいいだろうか、曖昧な時期が減った。もっというと、夏と冬をやさしく包み込む、中間季節の春と秋が極端に短くなっているように感じる。温暖化の影響なのだろうか。寿司屋の職人にいわせると、太平洋でとれていたものが日本海に移っていて、多くの魚貝の旬の時期がずれているそうだ。

季節が極端なら人の心も同様なのか、どうも激論極論にまみれた毎日が垂れ流しになっている。社会に入って先輩に教わったのは、反対するなら代案を出せだった。どうも昨今の社会を眺めていると、反対するためのポイント探しに奔走しているだけのように見えてならない。

毎日楽しみにしているブログのタイトルにハッとさせられた。『不寛容と闘わない寛容』としてあり、週刊文春の記事から見つけた「寛容が自らを守るために、不寛容を打倒すると称して、不寛容になった実例をしばしば見出すことができる。しかし、それだからと言って、寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になってよいという筈はない」との言葉に対しての、このブログ著者が心を綴っていた。語られていたのは、寛容を守るための不寛容になる間違いをたくさんしているなと、まさに僕自身も赤面しながら読み進めた。寛容でありたいと願うが、果たして僕はどの程度の人間なんじゃとあっさりとわからされたような気がした。むしろ僕はまだまだ不寛容だったのだと、現時点での敗北宣言をしてしまったほどだ。

決して甘んじて受け流すことでなく、そう、寛容でありたい。はーっ、わかっているものの、場面に対峙したときに自分の浅はかさがしばしば出るもので、思い起こすと恥ずかしい気分ではある。だがふいに、そして簡潔に気付かせてもらい、心地よいことこのうえない。久しぶりにノートの格言集に加えたのだった。

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