今さらながらチャリンコのおもひで。

最新号でお送りしたチャリンコ特集は読み終わりましたか? ずっしりと詰め込んだつもりですが、お腹いっぱいになれただろうか? ぜひ感想をお寄せください。

僕らの子供時代にチャリンコは高級品であり、親の収入差がそのまんま出るものだった。僕が育った荒川区の下町に金持ちはさほど多くなかったから、今回取り上げたようなジュニアスボーツ系のド派手チャリンコを持っていたヤツはごく少数だった。ほとんどが家族共用のカゴ付きチャリンコであったから、強い憧れはあったもののの劣等感はなかった。僕はクリーム色のいかにも母親と共用バレバレの愛車に跨がり、どこまでも走った。中学生のときに、朝3時に家を出て目指した高尾山日帰りサイクリングは、今も心に残る素晴らしい想い出だ。桜の満開時期で、まるで今日のように暖かくルンルン気分の旅だった。が、ちょっと距離を欲張りすぎたようで、帰り道はただキツイだけだったツライ想い出でもある。高校に入ると電車通学になり、日常的にほとんど乗らない生活が今まで続いている。

26歳のことだった。大勢でキャンプに出かけたときに、仲間の1人がクルマにマウンテンバイクを積んできて、僕は酔っぱらって坂道で遊び、転けて重傷を負った。大手術の末、心配された後遺症は残らなかったが、チャリンコだけでなくバイクでも下り坂に恐怖心を抱くのようになった。それと肘のカタチがイビツなのと、美しい顔に傷跡が残ってしまったのは、後遺症といっていいかもしれない。

時を経て、『昭和40年男』誌面企画で北海道を旅した。季節外れの極寒と、慣れないサドルによるケツの痛みに泣かされ続け、フルマラソンより何倍も辛い思いをした。そして去年の正月に、これまた雑誌企画で参戦した『ママチャリレース』では、富士スピードウェイの第1コーナーからの下り坂でスピードにのってしまい、あの日のトラウマが完全フラッシュバックして、気絶するほどの恐怖を味わった。

…と、大人になってからの僕に、チャリンコは何1ついい想い出がない。なにが言いたいのか? 今回の特集で本がたくさん売れてくれれば、これまで苦しめ続けられたチャリンコへの復讐にできる。がんばれ最新号!!

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